なぜ「黒部の太陽」なのか?

黒四(クロヨン)ダム!

平成も終わり、、

今日は、茨城を飛び出してここまでやってきた、、

どうしても平成のうちに行きたかったところがあった、、

まず、長野まで行き、バスに飛び乗った、、桜と立山連峰が同時に眺めるバスの車中だ、、

 

立山、、クロヨンを通って富山へ

これから、これだけの乗りものに乗り換えながら、立山連峰を貫き、越中(富山)へ、向かうことになる。5、6回は、乗り換えるんじゃないかな?

JR西日本の社内誌より、、(北陸新幹線・ちょうど立山アルペンルート特集)

 

 

 

長野から富山までは、長野新幹線ならすぐの旅路なのだが、あえてこの日本の屋根と言われる標高2000mを越える立山連峰を進まなければならない。

それは、なぜか、、、

当然、立山連峰も存分に味わいたいが私の今までの人生を支えてきた「アレ」を見に行くためだ、、

まずは、長野側の出発地点に到着だ、、茨城からここまでは、遠い、、

扇沢だ。

 

この可愛いバスでは、ない、、

トロリーバスと書いてあるが、最近この珍しいトロリーバスではなくなり、電気バスとなったようだ

 

まずは、彼らが迎えてくれた、かなり大勢だ、、予習は、しっかりしてきた。

 

昭和の時代、石原裕次郎、三船敏郎のW主演のあの映画のメンバーだ、

 

その前に、いろいろ名産物もあるようだ、

 

 

しかし、この出発地点の扇沢の景色を見ただけでも、すごい、、もう目的地に着いてるんじゃないかって思うくらいだ、、

 

 

この長野名物も試さなければならない。なぜか英語表記だ、、? 

 

私は、もちろん野沢菜入りを選らぷ。

おいしい、

しかし最近は、アジアのお客さんも多いらしい、、中華風、インド風などが売れ筋とのことだ、、なにか物悲しい気持ちで、これを頬張る。

 

 

まだ、出発は、しない。なぜなら、予想より早く着いてしまったためだ、、

ここによってみよう、面白そうだ、

 

やはり、おもしろかった、クロヨン(黒部第四ダム)の詳細が、よく勉強できる、、

 

クロヨンを語るとここでは、書ききれなくなる、、、とにかく凄い、、

技術も凄いが、 これもここで書きたいが我慢して書かないでおこう、、

 

やはり当時の携わった方々の熱い思いだろう、、

 

前述の映画にもなり、最近では、最近でてこなくなったスマップの慎吾ちゃんが、リメイク版を演じている!

 

すごい、、、ダムだ、、

 

こういう設計図書、地盤調査データには、私は、目がない、、ついつい、出発時間を忘れてしまう、、

 

そして映画、ドラマの最後にでてきた、このクロヨンの絵だ、、

この絵をみただけで、長時間の映画、ドラマのをラストを思い出してしまう、、涙もんだ、

 

 

まだ、出発もしていないのだが、素晴らしいところだ、

 

 

石原裕次郎も三船敏郎も私を出迎えてくれた、、

記念、、、

 

 

そして、出発だ

映画だけでなく、プロジェクトXでも何回もとりあげた。

そう、まずは、あの黒四ダムではなく、あのトンネルだ、

いきなりメインイベントだ、、このトンネル、、がいろいろなドラマを作り上げたのだ、、いろいろな人の人生も変えていったのだ、、

さすがに、震えてきた、、、映画とリメイクドラマ、7時間みた後だ、、

 

そしてついにメインイベントが来てしまった、、

そして、この青いLEDの場所が、あの

破砕帯だ!!!

電気バスでは、ほんのわずかな時間なのだ、、、、

このわずかな距離のトンネルの区間がどれだけ、すごいか、、!!!

ここでは、言及しないが、

映画 黒部の太陽、プロジェクトX、中島みゆきの紅白歌合戦などをみていただきたい。

100人以上の命を奪い、(今では、考えられないが)そして、戦後の復興、特に関西の基盤となっている、、

すごい場所だ、、、

映画で石原裕次郎が、割り箸を、折って説明した、、あの場所にやってきた、、、、、、、のだ

ここにくるまで、50年かかった、、、

ここに一度は、来たかったのだ、、

 

 

 

そして、メインイベントは、終わらない、、、、、

そう、これを見にきたのだ、、

 

 

 

ここからは、しばらく階段となる、、、

かなり登ってゆく、、こんなに登ってもまだ登らなければならないのだ、、

 

疲れたところに、これがある、

なんと破砕帯から浸み出る水だ、、

 

こんなものも売っているようだ、苦しんで破砕帯を突き抜けてきた人は、どうおもうだろうか、、、彼らの努力は泡のように消えていない!!

 

 

ついに到着した!!!

アーチ、重力式複合ダムだ、

 

昭和の時代につくられたのだが、、私の平成の人生はここにくるために生きてきたようなものだが、、どうしても令和になるまえにきておかなければならなかった、、令和まであと数日、、間に合った、、、、、(何を言っているかわからない方も多いかもしれないが、自分にとってとても意味深いことを言っているのだが、、)

 

そして乾杯したい、、

このすばらしいストラクチャーとこれからの自分の人生に、、、、、、、

 

 

これがみたかったのだ、、

4月も、平成も終わるというのにまだ、

雪景色だ、、

実に素晴らしい!日本の屋根と言われている、標高2000m  以上立山連峰になぜこんなものがつくられたかって、、、、?

それは、映画を見てもらいたい!!!!当時の日本は、セッパつまっていたのだ、、

 

そして、このダムをつくるためには、先ほどのトンネルがどうしても必要だったのだ!

命がけの任務だ!!これも私から何もいうことは、ない、、、現代の働き方改革では、信じられない、、

ちなみにクロ「サン」ダムは、300人以上の作業員がお亡くなりになっているとのことだ、、映画でも石原裕次郎のお兄さんがダイナマイト🧨をかかえてなくなっていた、、クロ「サン」ダムは、戦前につくられたのだ、何がおこっていたかなんて、わからない、、そんな命をかけたダムは、私を何十年間も魅了させてきた、、

 

 

 

 

 

このダムは、上から見るとアーチ状ではあるが実は、アーチダムという種類ではないのだ、、、そう、両端が、羽のようになっている、、、

 

当初はアーチ効果で、水圧に耐え、その力を両端の自然の岩盤に伝えるようにつくる予定だった。、しかし、それができなかったのだ、、、

 

思った以上に岩盤が弱かったのだ、、、、そこで、端部については、その重さで水圧に耐えられる構造としなければ、ならなくなった、、、、

 

これは、実に大変なことなのだ、、

186m の堤高はものすごい水圧がかかるのだ、、、

苦肉の策だったのだろう、、ダムを下流側に偏心させることによって、端部へ伝わる力を軽減させた、、水圧にを鉛直に下に伝えるのだ、

なんで、前傾、、傾いてるんだって心配する方もいるかもしれないが、、、そんな理由があるのだ、、、、

実は、このダム施工中に、お金を借りていた世界銀行から、待ったがかかったのだ、、フランス?で大きなダムの事故があり、30m高さを低くするようにいわれたのだ、、

30m高さを低くすると30/186貯水量が減るというわけではないのだ、、

 

貯水量は半分になるのだ!!!

 

 

 

フランスの事故から周辺地盤の懸念点が問いただされたのだ、、

 

岩盤に数百のボーリング孔が掘られ、原位置での強度試験が必要となった、、

 

当時の技術者は、やってのけたのだ、、世界銀行を説得できるだけのエビデンスをだすことができたのだ、、186mを実現するために、、

 

 

 

このダムを語ると語り尽くせない、、、お腹が空いた、、、

 

ここでの名物だ、、、、

 

クロヨンカレーだ、、おいしい、、、

こんなかたちにするだけで、、おいしくなる、、、

 

ここからは、、、

 

この説明は、、ためになる、、 

説明は割愛する、、この写真を見て欲しい、、これが水力発電の理解に繋がる、、いい資料だ、、

 

ご飯も食べたので出発だ、、、

 

実は、まだまだ、、先は長いのだ、、

 

これはダムの天端だ、、ここを抜けないと先に行けないのだ、、

 

いい景色だ、、

 

そしてまだまだ登って行くのだ、、旅は終わらない、、

 

 

黒部ダムを後に、、

 

ここから二つ目の乗り物、、ケーブルカーだ、、

 

 

ものすごい角度で登っていく、、すごい前からあるようだ、、古いが、、

 

ちょっと怖いけど、、、

 

 

ケーブルカーを抜けるとここに来る、、、春から逆行した、、

 

ところどころ雪解けしていっているのだが、、、

 

これが立山連邦なのだ、、

 

そしてまだまだこの素敵な旅は終わらない、、次の乗りものが待っている、、

 

さきほどクロヨンカレーも食べたのだが、、このニオイがたまらない、、

イチオシ!!

 

そして三つ目の乗り物だ、、

ロープウェイだ、、

 

なんでも柱?間の距離が日本一長いのだ、、雪崩などあるためなのだ、、

さらに一面が白銀に変わっていく

 

 

ついにここまできた、、、、すごいことになっている、、

 

 

ここが立山アルペンルートで一番ん高いところのようだ、、いずれにしろ標高2000m以上の空間を長く移動していることになる、、これが日本の屋根と言われる由縁だ、、、

 

こんなものある、、もう五月というのに、、

 

さぁ富山に向かって出発だ、、、

 

4つ目の乗り物だ、、

 

ここは富山側からのトンネルだ、、

 

そしてここにも破砕帯があったのだ、、先ほどと同じように青い光となっている、、、知らなかった、、

 

バスがすれ違う場所は怖い、、

 

遭難はしたくない、、が、、

 

こんなところに到着した、、

 

 

 

そしてここに神社がある、、

 

こんな標高の高いところにもいろいろ物語がある、、

 

この神社までもかなり登った、、

 

ここが一番高いところのようだったのだ、、、

2450m!

 

 

もう雪山だ、、

 

すごいことになってしまった、、、

 

 

ゴールデンウィークと令和になるのか、、 

 

そして名物のこの雪の壁だ、、

 

ここからは普通のバスに乗る、、雪の壁を見ながら、、、圧巻だ、、

 

バスは下っていく、、

標高が下がっていくにつれ雪もなくなってきた、、名物の

 

この杉だ、、バスがとまってくれる、、

 

そして長いバスの移動(標高で大体1000m降りたことになる)の後、、次の乗りものが、、

 

ここにきた、、

 

降りてきてもまだ標高1000mだ、、すごい旅をしているという実感がこの景色を見てわかる、、まだまだ、、高いところいるのだ、、

 

とりあえず、おやつの時間だ、、もう富山だ、、名物のこれを食べよう、、

 

そしてここから一気に、、500m降りていく、、

 

今日は何回乗りものを乗り継いだかわからなくなる、、

急降下のケーブルカーだ、、

 

 

そして、立山連峰を下山し、電車で富山駅に向かう、、、、

 

さよなら立山、、そして、、、、、

 

ありがとうクロヨンダム!

 

 

 

そして、、、旅の終わりに、、、、

 

すばらしい旅だった、、平成の終わりに全てをリセットできる旅となった、、そしてさらにリセットするために、、

 

 

富山の地酒が疲れを癒してくれる、、

 

おいしい富山の地物が、、甘エビが特に大好物だ、、、

 

しかし日本海の魚介類はいつ食べてもおいしい、、

 

そして富山といったら、、、これしかない、、、、身がたっぷり入っている、、

 

TOP PAGE!!!へ戻る。。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA